昭和51年5月6日 朝の御理解


 御理解第24節『人に誘われて、しょうことなしの信心は、つけ焼き刃の信心じゃ。つけ焼き刃の信心は取れやすいぞ。どうぞ、その身から打ちこんでの真の信心をせよ。世に勢信心ということを言うが、一人で持ちあがらぬ石でも、大勢かけ声で一度に力をそろえれば持ちあがる。ばらばらでは持ちあがらぬぞ。家内中、勢をそろえた信心をせよ』


 どうでも(ひとつの?)おかげを頂こうと発願したら、まず、一家が勢をそろえて信心をさして頂こうという、そういう熱願に燃え立たなければならない。為には、主人であろうが、親であろうがね。親が子供に頼んででも「ひとつ信心をしてくれ」家内に頭を下げてでも「お前もどうでん手伝うてくれ」というような私は、姿勢が要る。信心。ね。そこから、ひとつの勢をそろえた信心ができてくる。
 願いをひとつにして願う。ね。そこには、ひとり持ちあがらぬ石でも、大勢かけ声をそろえて、一度に力をそろえれば、持ちあがらぬのものが、頂けないはずのおかげでも頂けれる。「家内中、勢をそろえて信心をせよ」と言われるのです。
 その一番素晴らしい私はあの、のは、あの阿倍野教会の生き方ですね。まあ実力ナンバーワンでしょうね。日本で。とにかく、毎月二千名からの御本部参拝があるそうですから。二列車。女の先生です。お婆さんですもう。それでもそんなに人が助かる。とにかく朝の御祈念に、とにかくまあ、二百畳ぐらいあるでしょうかね、お広前が。それがもういっぱいになるそうです。
 何故そんなにその、朝の御祈念が多いかというとその、ご承知のように大阪は、商都と言われるように商売人が多いところです。ですから、「どうでもおかげを頂かなければならん」というその、例えば店主がですねその、従業員の人達に頼まれるんだそうです。女中さんにでも、番頭さんにでも。「もういついつの手形が、どうも売れそうにない。だから君達もお願いしてくれ。あんた達も一緒に参ってはお願いをしてくれ」というわけなんです。
 だから、一軒から十人も十五人も何十人と人が参るそうです。ね。そして、んならどういうことになるかというと、そうして主人に言われて、始めの間はしょうことなしに「主人が言うから」というて参るわけです。今度は、自分が店を持ち、自分がどこにいっぺん独立するという時に、またその手を覚えておるもんですから、神様におすがりする、というようなその、状態で信心があの、増えて行くということです。ね。
 また、的確なおかげを頂くわけです。勢をそろえて、一人ではとても持ちあがらない石でも、大勢がかけ声をそろえて、んなら「いついつの手形のことを、どうぞお願いします」と女中さんも番頭さんも主人に一緒にお願いするんです。それでそんなにお参りが多いんだということですね。
 だから、いくら社長さんでもです、んなら、社員に頭を下げてでも「ひとつ参ってくれ」そして、参ってくれというその信心が、今度はその社員の人達が、番頭さん達がです、信心を頂く事になる。信心を覚える事になる。自分達が独立した時には、またそのような生き方で勧めるから、もうそれこそ何と言うですかね、ねずみ算的に信者が増えていくということだそうです。素晴らしいですね。
 私は、この二十四節に、その一番ピッタリとしたおかげを頂いておられるひとつの例だと思います。だから、それだけで、もし終わるとすると、信心は非常に、まあ、おかげ信心ということになりますから、程度は低いことになります。ね。
 だから、お互いおかげを頂きたいならば、そういう、言うならば手を使う、手を使うと言えばおかしいですけれども。そのくらいな打ち込みがなからなきゃいけんです。家族の者が勢をそろえて信心をする。ね。そこに持ちあがらぬものでも持ちあがる。おかげにならんはずのことがおかげになってくる、というのであります。ね。
 そして、今度はまたその、この中にあります。「その身から打ち込んで真の信心をせよ」と、今度はあります。ここになってまいりますと信心がね、今度は真の信心になってくるわけ。ね。だから家庭ですから、おかげ信心ではいけんということじゃないです。御利益信心はいけないということはない、御利益を受ける為には、いわゆる、家族ひとつ勢をそろえて、言うならば、店員さんにも女中さんにも頼んでからでも、ひとつ拝んでもらうか、参ってもらうというような生き方をです、いよいよ身に付けていかなければならない。ね。そこに、どうにもできないはずのおかげが受けられる。ね。
 ところが、次には、んなら「どうぞ、その身から打ち込んでの真の信心を」と言っておられます。ここになりますと、いよいよ言うならば、いよいよ信心の真を現させて頂くことの為の信心が生まれてくるわけであります。
 昨夜壮年会でございましたが、まあ壮年会の中で、いろいろお話が、いろいろ出ました中に、私は、いよいよ一年後に奉仕さしてもらう、ここの開教十周年の記念のご大祭がございます。その記念の大祭に、何と言うても、壮年部の方達が中心にならなければならない。御用の中心にならなければならない。だからひとつ、「壮年部大会」を近い内に開かして頂こう。ね。
 例えば、そのご大祭の時に、千人のお参りがあるとしますなら、その半分は男性です。もちろんそこには、青少年も入っておりますから、まあ三十五歳までが青年会ですから。三十六歳以上の壮年の方達に、もう一人残らず集まってもらって、もし集まられないならば、集まられない理由を書いて、ね、食事の準備なんかやらもありますから。もうそのような徹底した壮年部の大会を開かせて頂こう、という話し合いがなされました。ね。
 そして、一年後に仕えられる記念大祭を如何に仕えるか、その中心にならせて頂くもの、第一総代会、もう全部壮年会です。菊栄会・松栄会までは全部壮年会。ね。不思議な事に合楽の壮年会は、そういう総代会とか、松栄会とか菊栄会の連中が全然出てこない。ただ、菊栄会なら菊栄会というような、小さい会に入ってしまって、その大きな、例えば横の繋がりといったようなことの為に、心をあんまり使ってないような感じがする。だから、こういうひとつの記念年なんかは、には、どうでもひとつ、そういう働きがなからなければいけない。
 それを私は昨日言う、昨夜御祈念中にしきりと感じましたから、その事を話いたしましたら、まあ、どうでも、ちょっとそういう働きのあるように、ということでございました。ね。
 もう、ほんとにひとつのことの、御用の中心にならなければならない人達。それがなら、二百人なら二百名の壮年部の方達がです、力を合わせて持ちあげる力を頂くならば、ね、とても普通では、夢にも思えないような力と働きが生まれてくるだろうと思います。ね。
 続いては、また「婦人大会」いわゆる「決起大会」というようなものがなされるでしょう。壮年会が成績を上げていったら。ね。そういう勢をそろえた信心。これは、一家のことではない、教会を中心にしたところの願いを、ね、壮年部の全ての人達が、力をそこに結集しておかげを頂いていくということであります。
 「つけ焼き刃の信心では取れやすい。どうぞ、その身から打ち込んでの信心」しかも、「打ち込んでの真の信心」ということになってまいります時に、どういうような働きが生まれてくるかということです。
 昨日、秋永先生が、発表して、いわゆる、素晴らしいお話をしておりましたが、その中に、昨日でしょうか。あの、光昭先生と会ったら、光昭先生が、秋永先生。
 昨日、一昨日でしたか、田主丸教会の春のご大祭でした。若先生が東京行っとりますから、光昭が代参、代わりに御用を行ってもらいました。それで今度、綺麗な増築があちらできております。それの奉告祭もあるというので、そのお祝いやらも一緒に持たせて光昭をやりました。
 そしたら、あちらの総代さん方、先生方を始め、光昭にたいへんお礼を言われた。「これはもうほんとに、毎月秋永、あんたんとこの信徒会長がお話にきて下さるから、もうほんとに、おかげでこれがでけた」と言われたそうです。しかも、先生がちょっと出しゃばりですから、もう設計がこれでやったら、もうまだ何でんこうもできてこう、もう妙なところに飾りを付けてといったようなものは、「ここはこうしなければスッキリとしない、ここはまだ、あんたんとこはとても、部屋に( ? )なんかは吊りゃせんだろうから、夏をこげなこっちゃいかんから、もう少し窓を大きくとりなさい」と、もう先生が言うた通りに設計し直して、できあがってるそうです。「だから、これもあんたげん信徒会長のおかげ」と言うてもう、えらい光昭に、そのまあ言われたそうです。
 で、その光昭が、だから昨日、秋永先生にそれを話したわけです。したら先生もたいへん喜んでたわけです。「みんなに喜ばれた」と言うて。で、それを、その事を私は夕べ、夕べはもう遅うございました。話がはずんでおりましたから。
 もう一時過ぎでしたでしょうか、寝ながらその、田主丸の教会の人達が、ここの信徒会長が毎月お話に行って、そして、んならあの、増築でも、何十畳かの増築ができておるんだそうですから向こうは。(   ?   )でもとても、まあ小さい教会ですけれども、おかげを頂いていってるわけです。
 そしてその事のあの、私寝ながらね、「ほんとに有り難いことである。田主丸の教会、いわゆる隣同士の教会が、こういうふうして仲良うしていけて、しかも、うちの信徒会長がそういう御用までさして頂いたっちゅうことは、なんちゅう有り難いことじゃろうか」と思うたら、もう私は、部屋であげな大きなお勇み鳴ったこと始めてじゃった。もうとにかく、床の間いっぱいにバーンというお勇みでしたよ。
 いかに神様がね、あの、合楽教会だけの為じゃないってことが分かるですね。この神様は。ほんとに合楽の信者が、例えば田主丸教会なら田主丸教会に行って、しかも、秋永先生が言うことをみんながその、それに習うて、そして信心の稽古をさして頂いて、こういう信心の真が、そういう改築なら改築ということに現されて、そういうもとをとらせて頂くということは、もう合楽教会だけの為じゃないということが分かるです。ね。
 それから、私はまあ、また起き上がってから、もうほんと起き上がってお礼言わにゃおれないようなことで、お勇みでした。それから、またあの、お礼を申させて頂いておったら、私はあることを頂いたんです。
 ●②始め、親指をこうしてからあの、片手をね。そしてこれから腕しっかり、この四本の指で、こう握り固めるところを頂いたわけです。「これはどういうことだろうか」と思うたら、ある教会の記念祭、それにあの、お役に立たして頂け、ということじゃった。まあそれを頂いたら、今度は心が弾んできたですね。もう一晩中眠られんで、興奮してきた。
 もう日頃、「お役に立ちたい立ちたい」というその一念ですから、神様がこういう御用に立たして頂け、と頂いただけで、もう私の思いは「ああもさしてもらおう、こうもさしてもらおう」と、もう心の中が躍動してきた。●②
 そして私は始めてです、あのね、泉尾の先生の「勇み」という言葉が分からして頂いたような気がします。泉尾の先生のお言葉の中には、この「勇み」という言葉が、たいへん出てまいります。お勇みの勇みです。ちょっと読んでみましょう。

 巻頭言の真ん中に、「この鈍物、この不徳者を庇い、祈り、お使い下さる神様。その喜び、その感謝、感動から勇み。それが我の勇みである。その勇みが何でもの願いに燃え上がらせる。この足らぬ者の鈍物、承知で使うて下さる神様の御思い、願いが我に勇みを与えて下され、何でもの願いの鬼にして下さる。」

 「勇み」ね、何でもの願い。ね。その勇みが、ね、というその、「我に勇みを与えて下さる」その「勇み」というようなことがどういうようなことだろうか、「元気な心で信心せよ」と仰る、そういうようなことだろうか分からなかったんです。これはもう、終始してお使いになる言葉です。泉尾の先生が。
 あちらも来年が五十年の記念祭だそうですが。もういろんなその、それに対する催しがあっとります。だから信者に「勇め勇め」と言うておられるわけです。そして私は昨日のその、神様からある御用を言われてから、もう待っておりましたと言わんばかりに心が躍動してきたんです。ね。「ははあ、勇みとはこれだな」と私は思いました。
 私は、私がおかげを頂くということは、例えばあの、親教会なら親教会の、ほんならご造営があると言い出したら、もう心がこう燃えてくるです。ね。記念祭なら記念祭と言い出したらもう心、燃えてもう「ああもこうも」と言う、過ぎるくらいな思いが心の中に湧きあがってくるです。「ははあ、勇みというのはこれだ」ということです。
 そして思わせて頂くことはです、今日のなら、「しょうことなしの信心」からは、そういう勇みなどは絶対生まれてこない、ということです。ね。おかげば頂かんならんからぐらいからの信心は、一番、今日は最初に申させて頂きました、家族で何かおかげを受けんならん、その時には、店員さんであろうが女中さんであろうが、自分の子供であろうが家内であろうが、地を低うしてでも「ひとつ一緒に参ってくれないか。祈りの手伝いをしてくれ」と言うて願わにゃならん。ね。
 これは、一番、言うならばおかげの世界ですよ。ここは。おかげを頂かなきゃならん為にはです、ね。「あんたも加勢してくれ」といったような信心、それもやはり勢をそろえた信心。ね。
 けれどもここにある「どうぞ、その身から打ち込んで真の信心」ということになるとです、もうそいう信心じゃない。そこからもう一歩前進した、言うならば、つけ焼き刃ではない、その身から打ち込んだところの信心が生まれてくる。その身から打ち込んだ信心になってまいります時にです、昔のご信者さん方がよく言われます。ね。
 例えば記念祭があるとか、またはあの、ご造営があるというような時にはです、「もうこの時こそおかげの受け時であり、お徳の受けるチャンスだ」というふうに言われますけれども、その意味も私あんまり分かりませんでした。けれどもただ、「さあ、ご造営じゃけんで、どんどんお供えばしてから、いっちょこれでひと徳受けよう」といったようなことじゃ、ではお徳は受けられないです。今私が言う、「勇みを感ずる御用でなからなければダメだ」ということです。
 心が躍動してくる、「さあ、合楽で十年の記念祭がある。さあ、記念祭には、ひとつ、ほんとに一生懸命の御用に使うて頂こう」思いよったら心が興奮してくる。勇んでくる。ね。そういう「勇み」をもって御用にあたらせて頂く時始めて、それがお徳になる、力になるということでございます。
 それけんだから、「はあ、あげなご造営があるから、ちっとたんお供えしじゃこて」と言うて、しょうことなしのお供えは、もうお供えのし損です。ね。
 ですから、心が勇みに勇んでです、日頃頂いておる、ね。言うなら「私のような鈍物でも、神様が使うて下さるということが有り難い」と心が勇むというのです。ね。泉尾の先生の場合は、そういうふうに言っておられます。ね。
 「この足らぬ者、鈍物を承知で使うて下さる神様の御思い」とこう言っておられる。それには、神様が、日頃です「こんな鈍物ですけれども、お役に立ちたい立ちたい」という一念をです、神様へぶつけるようにして「お役に使うて下さい」というて願われるから、「自分のような鈍物でも神様が使うて下さることが有り難い」と感動して勇んでおられるわけです。ね。
 ですから、「お役に立ちたい立ちたい」という一念を燃やしておる、おるならばです、さあ、教会で何かという時に、そん時に御用に使うてもらわなければならない、それこそ夕べ私が、興奮して一睡も休まれなかった。ね。興奮してという、たとえばおかしいですけれども、心が勇んできた。ね。
 そして、私がおかげを受け、私がお徳を受ける、力を受けるならね、いつの場合でも、御用という時に、この勇み心から出てくるから、間違いない的確なお徳に力になるんだな、ということであります。ね。
 それは根本にです、「お役に立ちたい立ちたい」という一念を心の中に燃やしよる。ね。しかも、それはです、自分の心をいやがうえにも燃え上がらせるということをあの、他のところで言葉を使っておられますね。自分の心が燃えてくる。ね。もう、いわゆる、じっとしてはおれない、というその心の躍動を感じる。
 そういう勇みにです、ね。神様の働きに便乗することができる。または、神様が、その勇む心に便乗して下さる。そこにです、人間の力ではとうてい思いもできないような働きが現されてくるんです。
 今日私は、どうでもみなさんがね、「しょうことなしのつけ焼き刃的な信心」からあの、「真の信心に打ち込んで行く」ということをです、勇みに勇んでの打ち込みでなからなければならないということです。
 「真の信心」なんていうようなことが、とてもなら、ほんとの意味においてはできることじゃないでしょうけれども、泉尾の先生をして、まだ自分は足りない、自分を鈍物というふうな頂き方をしておられますように、私共が一生かかったっちゃ分からんかもしれんけれども、やはり一生がかりで「真の信心を真の信心を」と目指して行く姿勢が信心には必要であるということであります。ね。
 そういう燃え上がった心の者がです、もし、んなら、ここで、壮年部の方達が全部、打って一丸になってそういうことになられたら、そらたいへんな、いわゆる、もう思いもかけない「生みなしていく働き」というものが生まれてくるだろうと思います。ね。
 そういう意味でです、いわゆる大祭を、記念祭を一年後に控えた、いろんな御用がたくさんございましょうが、その御用にあたらせて頂く前に、まず信心を確かめさしてもらう。ね。自分の信心を確認して、いよいよ心の中に勇みを感ずるような姿勢で、信心に打ち込んで行く。
 壮年会の大会が開かれるでしょう。開かれたら次には、婦人会が開くでしょう。次には青年会がまた、それにならうでしょう。ね。合楽にはたくさんな壮年部の方達がおりますけれども、壮年会があるとか、そんなことでさえ知らん人がたくさんおるです。その証拠には、大祭の時には、あれだけたくさんの人が参って来るでしょうが。
 だから、あのみんなの人達にです、ね、壮年部としての自覚に立ってもらって、そして横の繋がりを持って、しかもそういう勇む心をもって、一年後の記念祭にあたらしてもらうならばです、「記念祭を境に力を受けた、徳を受けた」という、銘々の信心が確立されてくるというふうに思うのです。ね。
 今日は、「勢をそろえて」ということを、ね。言うならば、言うならば、程度の低い意味合いにおいての、まあそれを阿倍野の教会の例をとって聞いて頂きましたですね。そして、それがもう少し高度化して、言うならば、泉尾の三宅先生のご信心にあやからしてもらうというか、勇む心をもってそれが、ね、「お役に立ちたい立ちたい」という一念を、日頃燃やしておれば、「さあ記念祭だ」「さあ何かが」という時にです、今こそ使うてもらわなければおられない、言うならば衝動ようなものが心の中に生まれてくる。ね。
 その衝動こそ私は「勇み」だというふうに今日は聞いて頂いたですね。そういう勇む心の者が集まって、勢をそろえて願うところに、それこそ夢にも思わなかったような、大きな大きな力と働きが生まれてくる、というふうに思います。ね。「生みなして行く信心」ということをそういうふうに、今日は聞いて頂いたんですね。どうぞ。


明渡 孝